光ファイバはさらに世の中に革新を与えました。
1970年代ベル研究所というところがアトランタの工場の中で光ファイバのデジタル伝送実験に成功しました。
ここの研究所はいろんな実験を試していて、例えば光ファイバ12芯を並べてテープ状にユニット化してそれを二層に重ねてから
24芯ケーブルという事で使っていました。
一番はじめのビジネスホンが光ファイバの試験システムに選択されて、その安定した結果に試験システムは後二年間くらいはビジネス用に使われたようで、唯一レーザーの寿命だけが問題だったようです。
でもその他は障害がたった二件で全体を通しては、20万時間も稼働できたっていう光ファイバとしてはかなりの快挙ですね。
コーニング社というところが光ファイバの低損失化で一歩リードしました。
ビジネス化するかどうかはファイバのコーティングとかケーブル化の技術のノウハウをあまり知らなかったので、通信企業と提携したかったようです。
この企業の狙いとしては1つの国ごとに1つの会社を選んで、ほかとは差別化するように特許を与えて合弁会社を作りたいという目的がありました。
手始めにシーメンス社とシーコア社をニューヨークに置いてから、その後実はこのコーニング社は日本にも来ていたのです。
なんと、あのNTTに当時この話を持ちかけたということなのですが、電線3社と共同開発を行っているNTTとはかみ合わずに決裂に終わっています。
日本では

2001年、一般家庭での光ファイバを使った光通信であるFTTHが、Bフレッツサービスとして開始されました。
当時の伝送速度は、ISDNを使った160kbit/sが最速でしたが、これに対しFTTHは100Mbit/s。
その圧倒的な速度差は人々を驚愕させることとなりました。
しかし、ほぼ同時期に始まったADSLの方が導入の簡単さも手伝って一般家庭を中心に急速に普及していくことに。
その後のインターネットの普及や映像配信サービスの開始など、ブロードバンドサービスの拡大に伴いBフレッツサービスは順次拡大、2007年3月には加入者数でADSLをFTTHが追い抜きました。
2008年3月には、他通信事業者を含む日本全体でもFTTHは1215万となり、xDSL1270万に迫る勢いとなっています。
現在のBフレッツサービスは、ひかり電話(IP電話)、インターネット接続、映像配信のトリプルプレイを提供。
今後、さらに高速な伝送方式の標準化が進められており、より高速で多様なサービスが提供されていくに違いありません。
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